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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)11523号 判決

原告

平野久子

右訴訟代理人弁護士

堤浩一郎

右同

中村宏

右同

影山秀人

右同

古川武志

被告

株式会社さくら銀行

右代表者代表取締役

末松謙一

右訴訟代理人弁護士

太田恒久

右同

石川清隆

右同

石井妙子

主文

一  被告は、原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和六二年八月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

四  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

第一請求

被告は、原告に対し、金四三〇八万九四一一円及びうち金三八〇八万九四一一円に対する昭和六二年八月二八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の前身である株式会社三井銀行に雇用されていた原告が、その業務に起因する疾病に罹患して両手に機能障害が残ったと主張して、安全配慮義務違反を理由として、被告に対し損害賠償を請求している事件である。

一争いのない事実及び証拠上明らかな事実

1  当事者等

原告は、昭和二二年九月一日、株式会社帝国銀行との間で労働契約を締結して雇用されたところ、昭和二三年一〇月一日、同銀行は、株式会社旧帝国銀行と商号変更して解散し、これと同時に新たに設立された株式会社帝国銀行と株式会社第一銀行にその営業を譲渡し、原告は株式会社帝国銀行に所属することとなったが、同銀行は、昭和二九年一月、株式会社三井銀行(以下「三井銀行」という。)と商号変更し、平成二年四月一日、株式会社太陽神戸銀行と合併して、株式会社太陽神戸三井銀行となり、平成四年四月一日、株式会社さくら銀行と商号変更した(争いがない。)。

2  原告の三井銀行等における職歴

原告は、昭和二二年九月一日、株式会社帝国銀行の神奈川支店に配属されたが、その後野毛支店、池袋支店を経て、昭和三八年一二月ころ、三井銀行日本橋支店(以下「日本橋支店」という。)に異動し、昭和四六年六月ころ、三井銀行本店人事部に異動し、昭和五五年一一月ころまでは同部厚生課健康開発センターに、その後は同部第二課(昭和六一年四月に人事総務課と改称)に所属し、昭和六三年一〇月三一日、三井銀行を定年退職した(争いがない)。

3  原告の症状、疾病及び後遺障害等

(一) 原告は、昭和四五年八月一七日から受診していた三井銀行本店医務室(以下「医務室」という。)整形外科において、両手、両肘、左肩を中心とした痛みが現れ(後記第三の二)、その手指・上肢等の症状について次のとおり各病院において診断を受けている(以下「本件各疾病」という。)。

(1) 昭和四七年二月一五日、社会保険中央総合病院において、「手根管症候群」(〈書証番号略〉)

(2) 昭和四八年四月三日、同病院において、「右(手)母指中手基節間関節変形性関節症」(〈書証番号略〉)

(3) 昭和五〇年三月一五日、同病院において、「右(手)デケルバン氏病、右母指狭窄性腱鞘炎」(〈書証番号略〉)

(4) 昭和五七年八月ころ、大船共済病院において、「右橈骨神経麻痺」(〈書証番号略〉)

(二)  原告は、昭和六三年四月一二日現在、右橈骨神経浅枝損傷及び右(手)母指・示指間拘縮のため、①右手母指と示指間のピンチ力の著しい減弱、②右手母指中心の知覚鈍麻、③右手母指及び示指の運動障害等、④右手瘢痕(約4.0センチメートル×約0.1センチメートル及び約12.0センチメートル×約0.5センチメートルのもの)の後遺障害及び醜状障害(以下「本件後遺障害等」という。)が残った(〈書証番号略〉)。

二争点

原告は、以下のとおり、三井銀行において業務に従事していたところ、三井銀行の原告に対する労働契約上の安全配慮義務を怠ったことによって右各症状、疾病及び後遺障害が発生し、これにより後記2の損害を被ったと主張している。原告の右主張の当否が争点である。

1  三井銀行における原告の業務及び被告の債務不履行(安全配慮義務違反)

三井銀行は、その安全配慮義務に違反して、原告の右各症状を発生させ、本件各疾病に罹患させ、更にこれを悪化させた。

すなわち、原告は、昭和三九年一〇月ころから昭和四五年一二月ころまでの間、①株券や債券等の運搬や枚数を手で数える作業、②利付債券の利札を和ばさみで切り離す作業、③預り証や通帳等の各種書面の作成作業、④証印押捺作業(ただし、昭和四三年五月以降)等の過度に指、手、手首、手関節等を使用せざるを得ない業務に従事していたところ、原告は、昭和四〇年ころから、右親指や左手首に痛みを感じ、そのころから、当時上司であった西村係長らに右症状を述べたうえ、利札の切り離しに使う裁断機の購入方を申し入れたが、三井銀行は右申入れを受け入れず、従来通りの切り離し作業をせざるを得なくなった。また、原告は、昭和四四年五月ころから、当時上司であった土橋係長や垂水管理係長に対し、その症状を述べたうえ医務室の受診を申し入れたのであるから、同人らは原告をして本来整形外科に受診させるべきであるのに、内科に受診させて整形外科に受診させなかった。

2  原告の損害

合計四三〇八万九四一一円

(一)  休業損害

計一六二五万一二六二円

昭和五七年四月分から昭和六二年六月分までの賃金差額

六六九万五五五七円

昭和六二年七月分から昭和六三年一〇月までの賃金差額

二四八万二八七〇円

昭和五六年夏期から昭和六二年夏期までの夏期及び年末一時金の差額

五六三万六八三五円

昭和六二年冬期から昭和六三年冬期までの夏期及び年末一時金の差額

一四三万六〇〇〇円

(二)  本件後遺障害等による逸失利益

六八三万八一四九円

計算式 437万2200円×0.27×5.786=683万8149円

(三)  慰謝料

入通院慰謝料 一〇〇〇万円

後遺障害慰謝料 五〇〇万円

(四)  弁護士費用 五〇〇万円

第三争点に対する判断

一原告の三井銀行における業務(昭和三八年一二月ころから昭和六三年一〇月三一日定年退職に至るまで)

1  原告の日本橋支店における業務

(一)  原告の担当業務等

原告は、昭和三八年一二月ころ、日本橋支店に異動し、当初出納係に配属されて窓口業務に従事し、大口顧客の入金、支払に関する業務等を担当していたが、昭和三九年一〇月ころ、証券係に配属され、主として保管業務に従事して、担保及び保護預りの株券、債券、預金証書等の受払業務を担当し、繁忙期には公金代理事務(税金・電気・ガス・水道・電話等の料金の収納業務)も担当していたところ、昭和四三年五月ころ、証券係兼保管係主任となってからは、証印押捺の権限が付与されたことに伴い、従来どおり保管業務を担当するとともに、公金代理事務のほか証印業務にも従事することとなり、昭和四五年一〇月ころ、証券係の廃止により管理係に配属され、昭和四六年六月ころまで、保管業務に従事した(〈書証番号略〉、証人垂水末義、原告本人)。

(二)  業務の具体的内容・程度

原告は、担当していた保管業務に際し、一日約四〇〇〇枚(多いときには約八〇〇〇枚)の株券及び債券を数え、貸付係の支払伝票による指示に基づき、一日約一〇〇枚(多いときには約六〇〇枚)の利付債券を、和ばさみを用いて切り離し作業をし、また、これに付随して、株券及び債券等を金庫と自己の机との間を運搬するなどの作業をし、その他各種書面の作成作業に従事していた。更に、原告は、昭和四三年五月ころから、これらの作業に加え、公金代理事務のうち、主として証印押捺事務に従事し、一件あたり、六、七箇所に証印を押捺し、繁忙期には連続して右事務にかかり切りになることもあり、包帯をまいて手首の負担を軽減していたこともあった(〈書証番号略〉、証人丸山のり子、原告本人)。

2  その後の原告の業務等

原告は、昭和四六年六月ころ、三井銀行本店人事部に異動し、昭和五五年一一月ころまでは同部厚生課健康開発センターに、その後は同部第二課(昭和六一年四月に人事総務課と改称)に所属し、いずれも、使送、文書整理、コピー作業を中心とした軽作業に従事していたが、昭和五五年一二月二六日から昭和五六年四月二七日までの間及び昭和五六年九月二二日から同年一〇月二四日までの間、長期欠勤をするなどしていたが、昭和五六年一一月二日に出勤したのを最後に、昭和五八年一一月四日から休職し、昭和六三年一〇月三一日、三井銀行を定年退職した(〈書証番号略〉、証人近藤東郎、原告本人、弁論の全趣旨)。

二原告の治療経過等

1  医務室内科受診等(〈書証番号略〉、証人沼辺美和子、原告本人)

原告は、昭和四四年五月三〇日から同年六月二日ころ、偏頭痛で欠勤し、そのころ、人事部厚生課所属の衛生管理者であった沼辺美和子の勧めによって、同年六月一六日、医務室内科において、長谷川医師の診察を受け、その際、頭痛、吐き気などの症状を訴えたところ、「胃腸の調子がわるく、腸に腐敗物が溜まるとそれが頭痛の原因となることあり」との診断のもとに、食事療法や服薬等の内科的処置で経過をみることとなり、その後、同年六月二三日、同月三〇日、七月一五日、同月二二日、一一月一七日、一二月一七日にそれぞれ医務室内科に通院し、また、昭和四五年七月ころ、近医の内科と慶応病院眼科に各一回ずつ通院し、その際、肩こり、頭痛、眼痛を訴えたところ、慶応病院では、三叉神経痛と診断されており、昭和四五年八月一二日、医務室内科を再び受診し、その際、「頭痛は一時軽快したが、現在、頭痛、項部にかけて痛み、左手に痺れ感があり、上腕二頭筋、三頭筋は両側とも柔らかいが、左肩筋は著しく敏感である」等の所見があり、筋圧痛が著しいので、長谷川医師の判断で、整形外科を受診することとなり、同月一七日から、医務室整形外科を受診することになった。

2  医務室整形外科受診等(〈書証番号略〉、証人田中守、原告本人)

原告は、昭和四五年八月一七日から昭和六二年一〇月一六日までの間、医務室(整形外科を含む。)で受診し、治療を受けたところ、その際における原告の訴えの主要なものは次のとおりである。

昭和四五年八月一七日 項部痛、左腕痺れ

同年九月七日 頭痛、胃痛

同年同月一七日 頭痛、項痛

同年同月二一日 牽引による全身不快感及びめまい、悪心、吐き気

同年一〇月一六日 背痛、胃痛、悪心、胸やけ等

同年同月二六日 右肘運動痛、背部のこり(以前に比べて軽快)

同年一一月一〇日 右肘関節部に圧痛著明、前腕内側腫脹著明

同年同月一三日 右肘関節部疼痛消失、両上腕二頭筋腱痛、大円筋痛、棘下筋部運動痛(左肩上部から背腰部に本人の希望により刺針)

同年同月三〇日 左肩痛、左手指骨端痛及び右肘痛

同年一二月四日 左手掌痛

同年同月七日 左手関節運動痛、関節周囲組織肥厚

同年同月一一日 右手関節痛、肘関節痛

同年同月一四日 左肩関節痛

同年同月二一日 頭痛、多発関節痛

同年同月二八日 左手関節周囲組織肥厚運動痛、左肩特に棘上筋緊張著明

昭和四六年一月一八日 右肘痛、両側手関節痛、左肩の痛み、関節周囲組織肥厚、腫脹、可動域軽度制限

同年同月二五日 関節周囲組織の腫れはひき、可動域正常

同年二月八日 右肘痛、左肩痛、右肘関節周囲組織肥厚著明、左棘上筋緊張

同年同月一五日 左手関節痛

同年同月二二日 障害軽快

同年三月一五日 右肘痛、肩痛

同年同月二二日 左肘敏感

同年同月二九日 左肘痛、肩痛

同年四月五日 左手関節敏感

同年同月二二日 左肩痛、左腕痺れ

同年同月二六日 左肩回旋痛

同年五月二四日 主観的に良好、右肘及び左肩関節のみ疼痛あり

同年六月一四日 棘上筋及び背部筋痛緊張、左肩回旋制限

同年同月二一日 左手関節痛、左肩運動痛、関節周囲組織軽度肥厚

同年七月五日 左手母指敏感

同年同月一九日 痺れ感のみ不変、疼痛軽快

同年八月九日 左手母指球、示指骨端手掌痛

同年同月一六日 左手母指、示指及び中指の骨端、手掌に疼痛、左肩内回旋に際し敏感

同年同月三〇日 著明な軽快

同年九月二〇日 左手中指骨端、手掌敏感

同年一〇月七日 全身疲労感と熱感

同年同月一二日 左手掌特に母指球部に軽度の圧痛と腫脹

同年同月一八日 左手母指痛、手関節背屈不可能

同年同月二五日 左手母指球、手根中手関節から手関節まで敏感

同年一一月八日 左手母指球敏感

同年同月一五日 軽快

同年一二月一七日 肩こり、頸痛、偏頭痛

同年同月二七日 左手母指球まだ敏感、腫脹なし

昭和四七年一月二四日 主観的にも軽快

同年二月七日 左手母指、示指痛増悪、第二骨端、第一骨端関節周囲組織肥厚著明、運動痛

同年一一月二日 頭痛等

昭和四八年一一月二日 下腹痛、悪心、悪寒

昭和五二年二月一二日 軽度の頭重

昭和五六年一〇月七日 右手関節痛

同年一一月六日 手関節痛

昭和六二年九月二五日 右手母指の感覚がにぶい、力がはいらない、身体他の関節や項部、頸部、上肢への愁訴は全くない

同年一〇月九日 左側の前腕に関しては脱力感のみ、右側の手関節を中心に末梢が脱力感、痺れあり、ある動作により症状が強くなることがある

なお、原告は、昭和四〇年ころから、右親指の痛みや左手首の痛みがあったと主張し、本人尋問においてその旨供述するが、供述を裏付けるべき客観的証拠はないので採用し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

3  川崎市立病院及び三井銀行東京事務センター診療所内科等(〈書証番号略〉、証人田中守、原告本人)

原告は、昭和四六年二月二二日、医務室整形外科において、田中守医師から勧められ、そのころ、川崎市立病院リウマチ外来で検査を受けたところ、リウマチの所見はみられなかった。

また、原告は、同年一二月一七日ころ、三井銀行東京事務センター診療所内科において、柏崎医師の診断を受けたところ、リウマチとの診断はできないとのことであり、他の診療機関における血液検査の結果でもリウマチとの所見はみられなかった。

4  社会保険中央総合病院整形外科(〈書証番号略〉、証人本間光正、原告本人、弁論の全趣旨)

原告は、昭和四七年二月一五日、社会保険中央総合病院整形外科を受診し、本間光正医師の診察を受け、「手根管症候群」と診断をされ(〈書証番号略〉)、同年三月六日、左手の正中神経の神経剥離の手術(入院一日、〈書証番号略〉には、同手術は右手の手術であると解される記載があるが、証人本間光正は、昭和四七年から四八年にわたって原告の両手の手術をした旨供述しており、前記手術の内容と原告の手術痕に照らすと、前記手術は左手の正中神経の神経剥離手術と考えるのが相当である。)を、昭和四八年三月一五日、右母指CM関節関節症との診断のもとで、右関節の固定術手術(入院約二週間)をそれぞれ施行され、同年四月三日、「右母指中手基節間関節変形関節症、なお二か月の加療を要す」と診断され(〈書証番号略〉)、昭和五〇年三月一〇日、右手関節狭窄性腱鞘炎との診断のもとで、右手の狭窄性腱鞘炎手術(入院約一週間、右母指バネ指手術、右デケルバン手術)を施行され、同月一五日、「右デケルバン氏病、右母指狭窄性腱鞘炎、手術後一週間の安静加療を要す」との診断を受けている(〈書証番号略〉)。

その後、原告は、昭和五四年一月九日から昭和五六年八月三一日まで、社会保険中央総合病院整形外科に通院している(計三五回)。

5  大船共済病院(〈書証番号略〉)

原告は、昭和五七年一月四日、大船共済病院整形外科において受診したところ、右母指部分の疼痛等を訴えたため、右母指伸筋腱狭窄性腱鞘炎と診断され、そのころ及び同年三月の二度にわたり、右手首の神経剥離の手術を施行されたものの、右疼痛の訴えは変わらなかったので、同年六月二三日、同病院に入院し、翌二四日、同手術あとの断端神経腫切除の手術を施行され、同月二五日退院した。しかし、原告は、右手術後も疼痛が続くうえ、更に強くなり、手術あとに腫脹も出現したため、同年八月三一日から同年一〇月四日まで、右橈骨神経麻痺との診断のもとに手術のため入院したが、その後も、疼痛、しびれ感は緩和せず、同病院において、右手首のほぼ同箇所に、三度にわたり神経剥離等の手術を施された。

6  済生会横浜市南部病院(〈書証番号略〉)

原告は、昭和五八年八月一八日から昭和五九年五月一二日までの間、済生会横浜市南部病院において受診し、右橈骨神経背側枝損傷及び右CM固定術瘢痕などによる右手指巧緻運動障害との診断を受け、昭和五八年九月六日には、同病院において、右橈骨神経浅枝領域瘢痕切除(神経腫切除)及び右母指・示指間の対向位固定(骨移植術)の手術を施された。

三原告の業務と各症状及び疾病との間の因果関係

1  前記一認定の原告の業務内容を検討するに、昭和三九年一〇月ころから昭和四六年六月ころまでの原告の日本橋支店における業務の内容・形態・程度は、前記一認定のとおりであり、株券等の運搬作業を除き、いずれも、手や手首の動作が比較的単純かつ反復継続するものであり、なかでも株券や債券を数える作業は、証券を把持したまま手首を繰り返す動作を必要とするものであって、原告はこれらの作業に従事し、そのため、一日のうち数時間にわたって、手指や上肢、肩に一定の負荷を継続的に受けていたことが窺われるところ、前記二の認定事実及び証拠(〈書証番号略〉、証人田中守、証人沼辺美和子)を総合すると、昭和四五年八月一七日から受診していた医務室整形外科における原告の主訴は、日によって異なり、ときとして軽快して症状がみられなくなった時期があるものの、概ね、両手、両肘、左肩を中心とした痛みであり、他にその原因があったとの客観的証拠がないことからすれば、原告の主張する前記諸症状(第二の一3)のうち右の症状(両手、両肘、左肩を中心とした痛み等、以下「本件各症状」という。)は原告の右業務に起因していると認めるのが相当である。

2  しかし、証拠(〈書証番号略〉)によれば、手根管症候群とは、正中神経が手根骨隆起と横手根靱帯によって形成される手根管の部位で圧迫(絞扼)を受けるために生ずる正中神経の機能障害であり、普通、夜間突然発症し、痺れを伴った疼痛があり、しだいに手首から腕の方へ放散するようになるとされ、その発症原因として、手首を繰り返し曲げ伸ばしするなどの作業で腱や神経自体が摩擦することによって神経が圧迫されると発症するとされ、職種別の愁訴率につき、「何か物をにぎって、手首を上下方向(掌背方向)に繰り返し動かす動作」や「何か物をもって、手首を(掌側へ)強く曲げる動作」が有意に関連しているとの報告もあるが、他方、証拠(〈書証番号略〉、証人本間光正)によれば、手根管症候群は、男性より女性に多く、また、閉経時期以降の中年女性に発症することが多いとされ、妊娠中や分娩後に症状がでることがあることなどから、女性ホルモンとの関係が指摘されているほか、職業性の原因によるものと考えられる以外にも日常的によくみられるとされ、治療としては、腱鞘炎などによる場合は安静、ステロイドホルモン剤の局所注入などで治療する場合もあるが、横手根靱帯を切離して正中神経の減圧をはかると、非可逆的な変化がすでに起こっている場合以外は一般に速やかに軽快するとされている。したがって、原告の罹患した手根管症候群と日本橋支店における業務との間の因果関係を判断するには、その業務の内容・形態・程度と右疾病の発症時期、態様及びその経過等を総合的に考察して判断することが相当である。

ところが、原告は、昭和四六年六月ころ、三井銀行本店人事部に異動してからは、使送、文書整理、コピー作業を中心とした軽作業に従事していたのであり、このころから手指・上肢への負担は格段に減少していると考えられるところ、証人本間光正は、原告の手根管症候群等はもっぱら原告の加齢(昭和三年一〇月一八日生、昭和四七年二月現在四三歳)によるホルモン代謝異常に基づくものである旨証言していること、三井銀行(被告)内で原告のほかに手根管症候群に罹患した者がいたとの証拠もないこと、原告の症状は、原告が三井銀行本店人事部に異動した後である昭和四六年八月三〇日、一旦顕著な軽快をみせた後、事務量の軽減とは逆に増悪し、昭和四七年二月一五日にいたり、社会保険中央総合病院整形外科において、手根管症候群と診断されていること等からすると、原告の主張する前記諸症状(第二の一3)のうち、原告が手根管症候群に罹患したことはもとより、原告が、三井銀行本店人事部に異動してから後の症状についても、原告の業務との間に因果関係を肯定することは困難であって、他に右因果関係を認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。

3 原告は、日本橋支店における業務と前記諸症状(第二の一3)のうち右母指中手基節間関節変形性関節症、右デケルバン氏病、右母指狭窄性腱鞘炎、右橈骨神経麻痺との間にも因果関係がある旨主張しているが、これらの疾病が発症したのは、前記のとおり、いずれも原告が三井銀行本店人事部に異動してその担当する業務が格段に減少した後であり、前判示の手根管症候群についてと同様、右業務と各症状との間の因果関係を認めるのは困難であり、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

したがって、本件各疾病による原告主張の後遺障害等についても日本橋支店における業務との間に因果関係を認めることはできない。

四被告(三井銀行)の安全配慮義務違反

原告は、前記のとおり、昭和四五年八月一七日から継続的に医務室整形外科において受診し、本件各症状等を訴えていたところ、三井銀行としても、原告の直接の上司等を通じ、右事情を知りうる立場にあり、かつ、原告の日本橋支店における業務の内容が、手指や上肢、肩に一定の負荷を継続的に与える性質のものであることは、その業務の態様・性質から容易に窺うことが可能であるところ、三井銀行としても、適切な人員配置をするか作業の機械化を図るなどして、原告に過度な負担をかけないようにする安全配慮義務があったというべきであり、それにもかかわらず、原告をして昭和四六年六月ころまでの間、前記業務に従事させていたのであるから、被告(三井銀行)は、原告の本件各症状の発生について、安全配慮義務違反があったというべきであり、後記五記載の損害を賠償する責任がある。

なお、原告は、昭和四四年五月ころから、当時上司であった土橋係長や垂水管理係長に対し、その症状を述べたうえ医務室の受診を申し入れたのであるから、本来整形外科に受診させるべきであるにもかかわらず、内科に受診させて整形外科に受診させなかった旨主張し、本人尋問においてこれに沿う趣旨の供述をしているが、これを裏付けるべき証拠を欠き採用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

五損害

1  原告の日本橋支店における業務との間に因果関係が認められるのは、前記のとおり、本件各症状の限度であるから、その症状の内容・程度、治療経過、その他本件訴訟の審理に顕れた一切の事情を考慮すると、それによって、原告が受けた肉体的・精神的苦痛の慰謝料としては、金一〇〇万円と算定するのが相当である。しかし、その他原告が主張する損害については、弁護士費用を除き、本件各症状と因果関係があるとはいえないこと前判示によって明らかである。

2  弁論の全趣旨によれば、原告が本件訴訟追行について原告代理人らに委任したことが認められるところ、本件事故の内容、認容額、審理の経過等に鑑みると、本件事故と相当因果関係のある損害として原告が被告に賠償を求められる弁護士費用は、金一〇万円とするのが相当である。

(裁判長裁判官小川英明 裁判官小泉博嗣 裁判官見米正)

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